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【研修医】メーコン黒部医療交流

石川 聖太郎医師


米国研修体験記 令和4年10月29日~11月19日

出発~到着

今回の米国研修では他の組は2人組での出発の中、私は1人での出発であったため、少し不安ではありました。しかし、第1陣の2人(野溝、中村)が帰ってきていたこともあり、2人には小政寿司と引き換えに色々な情報を教えていただきました、本当に役立ちました。出発当日になり、富山空港に荷物を積んで向かいました。富山空港に行くのは初めてでしたが、とても趣深い空港だなと感じました。荷物を預けた時の警備員の方に「この空港にはこれ以上見るものもないので搭乗口で待っていてください。」と言われ、搭乗手続きのところに向かったところ、小宮先生が待っていてくれました。小宮先生に見送られながら、氷見うどんを買って羽田空港へ、六厘舎のつけ麺を食べ、アメリカに向けて無事出発しました。フライト時間は13時間と長時間、yogiboの枕を買って睡眠準備バッチリで向かったのですが、映画が見放題であることに興奮してしまい、映画を5本見たらほとんど寝ずにアメリカに到着してしまいました。「ブラック・スワン」、ナタリーポートマンの演技と狂気に震えました。アトランタ空港に無事到着、予定より早く到着したため、四苦八苦しながらGROOMを早めてもらい、何とかホテルに到着しました。初日は食事を買いに近くのスーパーに行きましたが、アメリカのスーパーのでかさと見たことない食材の数々に大いに興奮しました。

到着後の日曜日

メーコンには土曜日に到着したため、日曜日は休み。時差ぼけで朝4時にすっきり目覚めてしまい、することもなし、第2陣で来ていた梁くんはヒューストンに行っていたため、1人でメーコンを散策することに。メーコンの町の日本にはない雰囲気はとてもよかったです。日曜日であったため、店もほとんどやってなく、人も少なく、ほとんど1人で散歩していました。ただ、ふと後ろを見ると黒人の男性が遠くで1人歩いているのがみえました。私はメーコン市内をざっと見て回りたかったのでスタスタと歩いていたのですが、その男性が少しずつ近づいてくるのが分りました。何とか撒こうとしたのですが、すぐ真後ろまで近づいてきて話しかけらました。諦めてその人と少し話すことにしました。その人は「どこから来たの?」、「1人で何をしているの?」など、私の聞き取れる範囲ではそんなことを聞いてきたと思います。なんとなくつたない英語で質問に答えていると、「恋人はいるのか?」と聞かれました。おや?、とは思いましたが、会話を続けていると唐突に何か質問をしてきました。聞き取れなくてもう一度言ってもらうと、ゆっくりとした声で、「Are you gay?」と言われました。はっきりとした声で「No」と返事をし、「I am married」と既婚者であることをはっきりと伝えました。すると彼は、「Is that a women?」と最後の抵抗に出てきました、「Yes, of course」。その日は以降おとなしくホテルで休んでいました。

研修開始

月曜日からは研修が始まり、自分は放射線科志望のため、放射線科を見学させていただきました。研修先のナビセントヘルスでは放射線科は小児放射線科、PETセンター、乳腺放射線科、腹部放射線科、神経放射線科、IVR、など分野別に細かく分かれており、毎日別々の先生方の元、様々な場所で見学させていただきました。Aiを使った解析や、音声認識マイクを使ったレポートの作成など、初めて見る景色ばかりでとても印象的でした。設備に関しても小児放射線科のCT装置のおいてある部屋は一面が海をイメージしてイラストが描かれていたり、MRIはジャングルであったりなどとても面白かったです。米国では超音波検査などは試行するのは専門の技師であったり、PAという医療行為を行える看護師がいたりなど日本との違いを多く感じることができてよかったです。救急からの画像は先生方が合間で読影されるが多く1人の先生が「アメリカで多いのはMVA(Motor vehicle accident:交通外傷)だよ...うんざりだね」と言っていましたが、本当に毎日たくさんのMVAの画像が見られました。また、大腿部のXpなどで日本人とさほど変わらない大腿骨とそれを覆うように画面いっぱいに肉付いた軟部組織を見て先生が「This is America」といった時は笑ってしまいました。
10月31日の月曜日はハロウィーン、本場のハロウィーンは職場でも仮装していました。夜はナビセントの先生の自宅に招待いただきました、トリックオアトリートと言ってお菓子をもらいに来る子供たちは可愛かったです。

休日アトランタへ

宮本、宮崎の第4陣と合流、日曜日に3人でアトランタへ行きました。アトランタが発祥であるコカ・コーラの歴史を体験できるワールドオブコカ・コーラへ。様々な洗脳により以降は喉が渇いたらコーラが飲みたくなるようになりました。中でも印象的だったのが、来場者全員が見せられる映像で、米軍に従軍中の兄と家族の感動的な再開や気球の上でのプロポーズ、おばあちゃんへの誕生日サプライズなど感動的なシーンが次々に流れ。ます。一見全くコーラと関係ないように思える映像の数々に思わず普通に感動してしまったが、その後に家族との再会やプロポーズ、サプライズの成功はコーラのおかげと言わんばかりにみんながコーラを飲みだして思わず笑ってしまいました。ワールドオブコカ・コーラでは世界中のコーラや飲み物を飲むことができ、美味しいものからとんでもなくまずいものまで是非体験してほしいです。ジョージア水族館も満喫。とんでもなく規模の大きい水槽の数々に圧倒され、マンタやジンベイザメに感動しました。

研修2週目

2週目は1週目では回ってなかった分野を見学。IVRチームを見学させていただいたときは様々な手技を見ることができて勉強になりました。IVRによる肝生検などは全く見たことない技術であったためとても驚きました。徐々にアメリカでの生活に慣れてきていました。第4陣の2人が来てからは食事トレーニングが始まりました。ステーキ、ハンバーガー、ピザ、ステーキ、ハンバーガー、ピザ...と幸せな日々を送っていました。ローティッドポテトというフライドポテトにチーズとソースを大量にかけたポテトをかけたものを食べた後にハンバーガーに大量のポテトが付け合わせされていた時は笑うしかなかったです。サラダはチーズやソースのほうが主役でした。
 小児科の先生方が親睦会を開いてくれました。若いレジデントの先生たちと交流するのは初めてで色々な話で盛り上がりました。1人のレジデントが「I love “Demon Slayer”」と教えてくれてなんのことだろうと思いましたが鬼滅の刃でした。アニメやK-POPの話で盛り上りました。

ディズニーワールドへ

おっさん3人でディズニーワールドへ、最高の体験でした。スターウォーズが好きな人は是非一度は訪れるべき、ミレニアムファルコン号のハイパースペースを起動した宮本さんを横目でみて思わず笑ってしまいました。アバターのエリアはまるで異世界にいるようでアトラクションもまるで鳥になったようでした。ショーなどのクオリティも高く、最高の時間を過ごせました。たくさんの人がいたのですが、みんなノーマスクで楽しそうにしており、コロナ前の世界を思い出しました。ホテルはダブルベット2つだったため1人は枕を6個床に並べて床で寝ることに、初日は最年長宮本さん、2日目は私でした。思ったより寝やすかったです。

研修最終週

研修も最終週となりました。最終日には指導医のEvance先生からプレゼントをいただきました。アメリカのお菓子などやアメリカ料理の本をいただきました。いつか作ってみようと思います。最終週も食事トレーニングの最後の追い込みです。来る前だったらお腹いっぱいになっていたはずの量のステーキを食べても、なんか物足りないなと思えるようになり、スーパーでアイスを購入、アメリカ人に近づくことができました。

帰還

アトランタから羽田へ。アトランタの空港内にて仕事でアトランタに住んでいる日本人の方とお話しました。その人は千葉の実家に帰るとのことで4年ぶりとのことでした。コロナは恐ろしいですね。帰りの飛行機も13時間、案の定映画を5本見ていたら到着しました。「ワンスアポンアタイムインハリウッド」、タランティーノ映画は好きですが、日本人にはちょっと難しかった、ブラットピットは私の中の永遠のあこがれです。
羽田空港に無事に到着すると真っ先にラーメン屋に向かいました。あまりのおいしさに感動で泣きそうになりました。富山空港についてひどい眠気の中車で何とか自宅へ帰還しまし、長い旅の終わりを迎えることになりました。

この3週間の経験はかけがえのないものでこのような機会を作ってくださった黒部市民病院やナビセントヘルス病院には多大な感謝を述べます。

ハロウィーン風景

ワールドオブコカ・コーラ

食トレの様子

ディズニーワールド

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