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【研修医】メーコン黒部医療交流

野溝 純香医師


米国研修を終えて 令和4年10月1日〜22日

3週間の米国研修を前にして、私自身は今まで海外旅行に短い家族旅行以外で行ったことはなく、米国に来る前にはこれほどの長期の海外滞在に耐えられるか不安でした。しかし終わってみれば本当にあっという間の出来事で、今となっては現実感すらありません。
終わってからも色々と思うことも多く、もっと英語を練習しておけば良かったとか、もっと時間を有効活用できたのではないかとか、反省したいことが沢山あります。一方で、この上ない充実感を感じており、このような体験はもう人生2度とできないものだろうとも感じております。

1週目 ~緊張と疲労の日々

人生初めての米国、飛行機でAtlanta空港に着いた時にはあまり実感がありませんでした。3年ぶりの米国研修の第一陣ということで小宮先生と西村さんが同伴のため入国審査やタクシーも悩むことなく、気づけば平坦な大地が広がる見知らぬ土地、Maconにおりました。ホテルも綺麗な場所で初めての米国に心躍らせていたのもつかぬ間。その後に待ち受ける会食の数々に自分のコミュニケーション力の無さと無知に絶望することになりました。まず、2日目の昼は小児科のRoger先生、Teresa先生と、夜はBurtner先生、Ash先生と、3日目にはTracyさん含む看護部や病院幹部、4日目には大学関係者との会食があり、みな親切で気の良い方でしたが、まずスピードが速すぎて何と言っているがわからず(今から考えたらだいぶ聞き取りやすかったのですが)、こちらから喋れば意図を組んでくるのですが、ヒアリングに困難で会話が思うように進まず、申し訳なさと疲労で毎晩どっと疲れてホテルに帰っておりました。さらに、日本では食べたことがない量とカロリーの食事を連日食べることになり、ご馳走をいただく立場なので気持ち的に残しづらく、勧められるがままに毎回腹がパンパンになるまで食べてしまいました。カロリーの観点からそのまま寝たら絶対に太ると思い、疲れた状態でも毎晩同じ研修医の中村先生とともにホテルのジムで筋トレとランニングを行いました。
第一週目にはMercer大学に訪問し、医学部内の研究施設や授業を見学することができました。研究内容は難しく、一部しか理解できませんでしたが、大学規模での研究にも力を入れており、施設内に動物実験や実験機器が充実しておりました。授業見学では呼吸器感染症の問題をグループごと回答するグループワークの授業を見せていただきました。内容は日本の国家試験でいう基礎問題に近いものでしたが、医学部2年生の授業にしては、より臨床に即した実践的な内容でした。
大学や病院での食事や歓迎会では、突然大勢の前での意気込みや挨拶を求められることもあり、その度に頭の中が真っ白になって、恥ずかしさと緊張で倒れそうでした。何回かそうした事を繰り返すうちに、自分が正しい英語を喋れているか、相手に失礼なことを喋ってないか、そんなことを気にしていたら何もできなくなってしまうなあと思い、途中から「旅の恥はかき捨てていこう」と吹っ切れたことで、多少なりとも気持ちは楽になりました。  
ちなみに5日目の食事会では小宮先生や西村さんも英語で挨拶があったり(2人とも英会話が上手でびっくりしました!)前任の辻先生や吉澤先生の英語の手紙も読み上げられました。英語でも伝わってくる温かい言葉についウルっと涙ぐんでしまい、周囲にばれてないか焦りました。

2週目 感染症科 ~Dr.KatnerとDr.Adeelと

私はオリエンテーション除く3週間を半分ずつ感染症科と神経内科を回りました。まず、感染症科では1年目にZOOMレクチャーでもお世話になったKatner先生にお世話になりました。ジョージア州ではAIDSの患者さんが大変多く(なんと米国で新規感染者1位)普段の診療でもAIDSの患者さんを診る機会が大変多いです。Katner先生はAIDS診療の第一人者でMacon市内にあるAIDS患者の診療を専門とする病院では1週間に1度外来診療があります。私は初日から見学しており、まず最も驚いたのが外来の診療時間の長さで1人の患者さんに1時間ほどかけて詳しい問診と診察をおこなっていきます。時には不安を表出する若いAIDS患者さんにもKatner先生は優しく話しかけ、手を握ってあげたり、患者さんが落ち着いて話せるような空気をつくっていました。また、私達研修医に対しても非常に優しく、わからない単語があると紙に書きだしてくれたり、忙しいはずなのに隙間時間を使って、スライドを用いた症例提示にレクチャーをしてくれました。Katner先生は私が神経に興味があると伝えると、神経障害に関連した感染症を選んでレクチャーしていただきました。神経梅毒やクリプトコッカス髄膜炎やそれによる外転神経麻痺など、日本では経験したことない症例をみることができ、とても面白かったです。Atrium Navicent病院内の病棟業務では内科医のAdeel先生が一緒に回診につれていっていただきました。Adeel先生のもとには毎日、多くのコンサルトがあり、一時は患者数が17人に達したこともあります、その日に一人一人の診療録をまとめて、病棟内を回診し上級医であるKatner先生にプレゼンして方針を決定していきます。日ごとに忙しさにばらつきがありましたがKatner先生やAdeel先生はそれぞれ小さなお子様のいる家庭を持っていて、早退や出勤を調節することでうまく家庭とバランスを保っていて、感心しました。

3週目 神経内科 ~Dr.Smithと神経チーム

神経内科ではSmith先生にお世話になりました。驚くことに大規模な病院であるにも関わらず神経内科医は1人しかいないそうです。病棟業務が回らなくなるのではないかと思いましたが、急性期治療のみ行なうため2-3日ほどの目まぐるしい速さで患者が入院しては退院していくことでベットの回転はかなり早いです。また、神経チームはSmith先生とNurse PractitionerのJamesさんやJecicaさん、レジデントのElen先生など、他の職種も一緒に構成されていて毎日このメンバーで回診して分業を行うことで神経内科の病棟業務を回していました。Neuro ICUをはじめとした病棟内では痙攣の患者さんが非常に多く、ほぼ毎日脳波検査を行い、てんかん治療の強化や増悪因子の精査を進めておりました。痙攣患者さんの中では薬剤性の痙攣は意外にも多くあり、痙攣の原因となる薬剤を各患者でも細かく確認していました。さらに毎月の脳卒中患者を統計的に分析しており、Door to t-PAやコンサルトまでの時間などを多職種で議論する集会等、急性期病院ならではの取り組みも勉強になりました。また、急性期病院ゆえに意識障害が強い患者さんも多いため神経診察も限られており、Smith先生が得られる少ない所見の中から鑑別、治療を進める様子も参考になりました。

米国に来る前と後では米国や自国の見え方も大きく変わった気もします。米国では話せば話すほど、自分の米国への先入観やイメージとのギャップを感じました。恥ずかしながら、私は米国に対して大きな食事やパーティー、派手な暮らしを想像していました。確かにそういうイメージ通りの面もありましたが、この研修を通して医療者の立場からみた多民族国家特有の感染症や、人種や疾患による差別や経済格差、労働環境など、米国の内面も少し知ることができました。
また、米国での違いや診療のお互いの良い部分や自分達の医療を客観視する機会になりました。米国では日本と異なる様々な医療職種があり、職種ごとに独立した専門性ももっている一方で、回診も多職種で行うなどして意見交換も多く行われている場面が印象的でした。

余談ですが、休みをいただきWalt Disney worldやジョージア最大の都市のAtlanta観光に行かせていただきました。両方とてつもなく楽しかったのですが、ただ、意外と観光するだけでは英語は使わないのだな、とも思いました。そのため、ここまで英語を話そうと頑張ったり、英語力の無さを痛感できたのも、この米国研修のおかげかもしれません。
正直、お世話になった人々にもっと気の利いた英語を返したかったし、もっと話して相手のことを知りたかったです。もともと人見知りの自分ですが、そう思えるほどこの研修は意味があるものに思いました。実は黒部を研修病院先に選ぶとき、米国の研修には正直興味はあまりありませんでした「コロナでどうせ行けないし、行けたらラッキー」くらいの気持ちで思っていました。実際に行ってみれば、自分の人生で宝物のような経験を得ることができ、本当に良かったと思います。

神経内科チーム。左からJecicaさん、
Elen先生、Smith先生、Jamesさん、
私と梁君です。

ちょうど黒部の研修医が4人そろう
タイミングがあり、ホテルで夕食を
手作りしました。

マーサーベアはMercer大学の
マスコットらしいです。かっこいい!

感染症科の先生方と。
左からAdeel先生、Katner先生。

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