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【研修医】メーコン黒部医療交流

宮崎 賢太郎医師


2022年11月、ジョージア州メーコンのAtrium Health Navicentで3週間研修しました。COVID-19感染症の影響で中止していた国際交流プログラムが復活し、無事に研修ができたことを大変嬉しく思います。人生初のアメリカが楽しみな一方で異なる言語への不安を抱えながら日本を出発しました。既に研修を終えた同期が申し送りしてくれたおかげでホテルまでスムーズに辿り着きました。 

Atrium Health Navicentはメーコン周辺地区の中核病院で規模が大きく、3週間では全体を把握できませんでした。日本とは異なり一般病棟はすべて個室で、病室それぞれは日本より広く感じました。また病棟や外来でのやり取りは、日本よりも患者の反応がはっきりしている印象を受けました。日本では高齢患者が多い影響はあるものの「えーっと」「なんか」「うーん」などと返答が曖昧な患者も多いですが、アメリカ人患者は返答がはっきりしておりスムーズにやり取りできている印象を受けました。
1週目は外傷外科の研修をしました。文字通り外傷を扱う診療科と思っていましたが、ACS(Acute Care Surgery)という部門のようで、外傷以外にも急性腹症など、緊急や準緊急的に手術が必要な疾患全般を扱っていました。また領域に関わらず癌手術は、腫瘍を専門的に扱う「Cancer surgery」という部門が別にありその部門が担当するとのことでした。Ashley先生が外科の教授で、外傷を専門としているようです。主に、外科レジデントのKazi先生やメディカルスクール生のWilkinさんにお世話になりました。アメリカでは大学4年間、メディカルスクール4年間の履修が必要で、その先は専攻する科によってレジデントとしての研修年数が違うようですが外科の場合は5年間必要らしいです。日本より道のりが長いためレジデントは30代が多いとのことでした。

研修内容は手術や回診、カンファレンス参加などでした。朝はとても早く、6時半頃に回診が始まります。スタッフ・学生は6時ごろにはある程度揃っていました。その代わりに手術などが終わっていれば夕方にすぐに解散、帰宅しているようでした。手術は何件か参加しましたが、開腹手術では患者の皮下脂肪が非常に厚く、腹腔内操作が深くなり視野確保が大変そうでした。BMI30超えはざらで、50や60の患者もたまにいるとのことで体格の違いを感じました。日本と違い閉層は皮下まではせず、陰圧閉鎖していました。感染が疑われる場合は完全に閉層しないことが多いとのことでした。また、褥瘡患者のデブリドマンや四肢の断端形成術も主に外科が担当しているようで、径15cmほどに及ぶ巨大な褥瘡や深い潰瘍などインパクトある病変も見てきました。体重が重い、肥満なことは褥瘡のリスクになるので日本より多いのも納得できました。運が良いことに、アメリカならではの外傷患者にも出会いました。1人は囚人の左鎖骨下動脈損傷です。他の囚人との喧嘩で刺されたとのことでした。外傷・血管外科専門医師が集結し、大伏在静脈を採取してバイパスに利用していました。もう1人は銃外傷患者の緊急姑息的手術後の開腹手術です。銃が腹腔内を左右に貫通したとのことで、小腸穿孔、十二指腸穿孔、膵損傷、胆道損傷を合併しており悲惨なものでした。どちらも日本では考えられない症例で、もちろん初めての経験だったので患者には悪いですがとても興奮しました。

またWound clinicという外来施設を見学しました。あまり馴染みのない言葉ですが、交通外傷患者の創部フォローなどを専門に行なっていました。日本よりも外傷多発なので必要な施設だというのは納得できました。車に轢かれて左足趾を受傷した女性は、保存的加療していた創部が経過で徐々に壊死しており、残念ながら切断術の話がされていました。交通事故や銃撃事件、鋭利なもので刺されるなどの外傷患者は度々来院するそうです。夜間の方が比較的多いようですが、研修している日中にこのような外傷患者の手術に立ち合えたのは良い経験になりました。
2週目からは感染症科でお世話になりました。感染症科は主科として患者を持つこともありますが、他科の患者で介入が必要な感染症患者を担当する場合も多くありました。Ponce先生、Adeel先生と共に病棟患者を担当し、疾患や抗生剤の選択について学びました。2人の先生に加え若手のレジデントの先生もローテーションしていましたが、いずれの先生も国外からの出身であり多国籍な職場環境でした。

研修は主に病棟患者の回診やカンファレンスの参加でした。肺炎や術後感染、骨髄炎のほか、クリプトコッカス髄膜炎やHIV患者も入院していました。今まで見たことのない感染症患者に出会えたのは良い経験になりました。それぞれの患者に対して、カルテを共有しながら所見や治療を一緒に考えていくスタイルでした。診断や治療薬選択に関しては日本と大きな違いは無いように感じました。一般的に頻用される抗菌薬以外は自分で処方した経験がなく理解が不十分だったので勉強になりました。またPonce先生からは感染症に関連した論文を紹介され、分かりやすくレクチャーしてくださいました。起炎菌や抗生剤の名称は英語でも発音が異なるだけなので、先生方の会話は外科の時よりはまだ理解しやすかったです。

また、病院から少し離れたところにあるHope Centerも見学しました。ここはHIV患者を専門としたクリニックで、感染症の先生が当番制で診療していました。HIV患者を経験したことがない私にとってはとても新鮮で、外来見学のほか、DNAウイルスとRNAウイルスについて、HIVの診療や治療薬についていろいろと教えて頂きました。私は知らなかったのですが、レトロウイルス科としてHIVは昔「HTLV-3」の名称で知られていたそうです。HIV治療薬は多剤併用療法が基本ですが、初回は3剤または4剤の成分が含まれた合剤を処方することが多いとのことでした。いったん罹患したら一生飲み続けなければならない抗HIV薬の内服を1日1回1錠で済ますことができるのは、患者の負担や服薬アドヒアランスの面で優れているように感じました。患者の雰囲気は様々で、内服でコントロール良好な患者はみな笑顔で先生方と話しており、患者であることを忘れてしまうほどでした。一方で他感染症の合併、薬の副作用などで治療が思うようにいかない患者は診察中終始暗い雰囲気でした。HIV感染が珍しくないアメリカではこのような施設が大きな役割を果たしていると感じました。
アメリカは気さくな方が多く、研修中は医療に関係あること無いこと関わらず積極的に話しかけてくださり、行き帰りの送迎、食べ物やスナックの差し入れなど温かみを感じました。全体を通して研修は楽しく非常に充実したものでしたが、唯一のストレスは言語の壁でした。仕事以外の雑談などは拙い英語で割と通じましたが、医療の内容はそう甘くはありませんでした。先生方は自分の拙い英語を汲み取ってくれましたが、まともな会話にはほど遠いものでした。教えてくれている内容や質問したことに対する返答がよく聞き取れず、結局「OK, Thank you.」などと笑いながらごまかすことも度々ありました。日本語では答えられても、それを英語に変換できず結局答えられないもどかしさも痛感しました。スタッフ同士や回診中の患者との会話は部分的にしか聞き取れないので、患者やカルテ、モニターを見ながら会話の内容を推測していました。日常会話は拙い英語で何とかなるものの、医療用語の飛び交う病院研修となるとやはり限界を感じました。それでも簡単な英語に置き換え分かりやすいように説明してくださった先生方には心より感謝いたします。
観光と同様、現地の食事を存分に楽しみました。南部地方はチキン料理が盛んなようです。イメージ通り、味が濃く量が多く脂身の多い食事ばかりで、米の代わりといいっていいほどにポテトが出てきました。人によりますが、私にはこの食事がぴったりでした。夕食は基本的に外食で毎日違う店を開拓しました。ステーキやハンバーガーをコーラで流し込む、そんな生活をほぼ毎日していましたが全く飽きませんでした。滞在中にハンバーガー10個、ステーキ4枚を完食しました。定期的にランニングしていたにも関わらず、3週間で私の体重は6.5kg増加しました。アメリカ人の身体が大きくなるのも納得できました。病気のリスクとなるものばかりですが、スイーツが甘すぎること以外は私にとってアメリカ料理は大好物でした。
この3週間は研修、私生活ともに非常に充実したものとなりました。日本との医療の違いや文化の違いを見た経験は自分にとってプラスになったことと思います。指導してくださった先生方をはじめ、黒部とメーコンの交流に尽力してくださった関係者の方々には深く御礼申し上げます。

外科教授Dr. Ashleyと医局にて

外科でもらったお気に入りTシャツ

感染症科Dr. Ponce、Dr. Adeel先生

Mercedes-Benz StadiumにてNFL観戦

ディズニーワールド アバターエリア

同期との食生活の日常

骨付きステーキ22オンスとポテト

巨大高カロリーピザ

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