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【研修医】メーコン黒部医療交流

郷原 和樹医師


日本に帰ってきてから3週間が経ちました。

13時間に及ぶフライトの末やっと帰国し、家のベッドでゆっくり眠れるかと思えば時差ボケに苦しみ、当直にも入らなければならず、そうこうしているうちにあっという間に11月が終わりました。しかし後発組の田丸君は既に帰国した上感想文も提出しており、言い訳出来なくなってきたので頑張って書きます。

突然ですがみなさんはアメリカに行ったことがありますか? アメリカという名前は10人中10人が知っているでしょうが、行ったことがあるという人は意外と少ないのではないでしょうか。かく言う僕も大学の卒業旅行で数日行っただけで、アメリカという国については映画から漠然と得た先入観しか持っていませんでした。僕にとってアメリカはほとんど未知の世界で、もっと言うと映画で観るようなクレイジーな世界なのだと思い込んでいて、そこに4週間も滞在することがとても不安だったのを覚えています。さらに研修の都合で黒部を離れていることが多かったためか、出発する前からやたら寂しくてホームシックのようで、友達や上司に無理やりお別れ会を開いてもらう始末でした。そんなこんなでジタバタもがいていましたが、時間はあっという間に過ぎ、抗いようもなく僕は巨大なアメリカの地に足を踏み出していました。
さて、アメリカでの僕の研修科は感染症科であり充実した研修生活を送ったのは言うに及ばずですが、その前にひとつ言わせていただくと、最初の1週間はとても、とってもしんどかったです。僕たちは米国研修第一陣だったため、毎日歓迎パーティが予定されていました。想像してください、時差ボケした頭で朝から病院に行き英会話を何時間も雨あられと浴びて、聞き取れず、夜はパーティで次から次へと初対面の先生との英会話を嗜み、聞き取れず、ホテルに帰って寝たかと思えば深夜3時ぐらいに英語の夢で目が覚める、そんな生活を繰り返していました。断っておきますが、この1週間は英語力やコミュニケーション力を磨くことができたし、もしもう一度米国研修に行けるならやはりこのスケジュールを選ぶと思います。それほど有意義で濃密な1週間だったのですが、如何せん肉体的には相当こたえました。
そろそろ本題、感染症科について書いていきたいと思います。僕が感染症科を選択した理由は、アメリカならではの特殊な感染症を見たかったことと、そもそも感染症科というものを回ったことがなかったことです。

まず感染症科の研修で学んだのが、徹底した病歴聴取と身体診察、そしてそれに基づく論理的な臨床推論です。これは外来患者の数や病院の専門性にも大きく左右されるところでしょうが、その点を差し引いても病歴聴取や身体診察、検査データの読み方が日本より細かいように感じました。ひとつ印象的であった言葉が、「症状のない尿路感染症は存在しない」です。これはつまり尿検査でいくら細菌や白血球が検出されても、症状がない限り感染症と診断することはないということです。実際そういったケースには日本でもよく遭遇しますし、他に発熱の原因がないために仕方なく尿路感染症と診断していたことがあったため、自分にとっても耳が痛い話でした。このように、感染症と診断して抗菌薬を選択するのはもちろんですが、感染症を除外して抗菌薬を使わない決断をするのも知識と判断力が必要であり、感染症科の醍醐味を見た気がしました。

もうひとつの目標、アメリカンな症例を見ることですが...思っていたより強烈な症例をいくつも見ることができました。例えばドラッグを血管に注射しているうちに心臓や背骨に細菌が感染してしまった症例、背骨の手術をしたが細菌感染を起こしてしまい傷が塞がらない症例、友人に勧められ粘土を食べていて腸に詰まり穴があいてしまった症例などなど。そして何より強く印象に残ったのがHIV感染症の診療でした。感染症科のトップであるKatner先生はHIV感染症の権威であり、先生のもとで研修をできたのは最も貴重な経験のひとつです。
以下は蛇足かもしれませんが、少しだけ掘り下げて書きます。僕が滞在したジョージア州のHIV感染率は全米で2位だそうです(間違っていたらごめんなさい)。HIV感染症は主に性感染症であるため、一般的に日本では性に奔放な人や同性愛者に感染のリスクが高いとされていますが、アメリカでは必ずしもそういう訳ではありません。むしろ問題になるのは貧困層、特に奴隷制度の名残りで差別に苦しむ黒人の貧困層です。彼らは教育を受けられないためHIVが何なのかも知らないまま感染し、医療を受けられるだけのお金がないかあるいは黒人であるため受診を拒否され、まともな医療を受けることができません。そして治療を受けられたとしてもHIV感染症患者、ましてや黒人のHIVキャリアは仕事を得ることが出来ず、社会レベルで貧困の悪循環が形成されているそうです。例えば夜に街を見ていると、治安が悪いため歩いている人は少数なのですが、不思議なことにその全員が黒人でした。Katner先生にその理由を尋ねたところ、彼らは貧しいために医療を受けられない精神病患者や、貧しすぎるあまり強奪されるものもないような人々だそうです。アメリカという国は多民族社会であり非常に多くの文化や思想が共存していますが、一方で黒人の人々は依然としてなくならない差別に苦しんでいることを痛感しました。
米国研修で大きく感じたのは自ら踏み出すことの大切さです。研修についても英会話についても、自分から質問したり話しかけたりすることから得られるものはとても大きかったです。感染症チームと打ち解けるようになったきっかけも、勇気をもって質問してみたことでした。もちろん質問の内容は些細なものも多く、それどころか「何て言っているか全然わからない」と自白したことも多々ありましたが、みんな一度たりとも嫌な顔をせず、僕が納得いくまで細部まで説明してくれました。それが当然だと感じていたようです。アメリカでは仕事中であれ休憩中であれパーティ中であれ、お互い率直に話しかけたり話しかけられることが多く、もちろんそれで少し疲れることもありましたが、とても素敵な文化だなと感じました。

アメリカで過ごしたあの4週間はまるで夢のようで、今となっては現実感がなく、本当に行ったのか最早疑わしいほどですが、帰ってきて患者さんを診ているとアメリカで教えてもらった知識が思い起こされるのも確かです。この米国研修で得た経験は、先の長いキャリアの中で間違いなく代えがたい財産になりました。

最後になりましたが、プログラムを支えてくださったみなさんや、アメリカで温かく迎えてくださった感染症チームのみなさんに深く感謝いたします。ありがとうございました、楽しかったです。

感染症チームと郷原君、田丸君

小児科Turbatton先生と郷原君、田丸

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