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【研修医】メーコン黒部医療交流

米山聖子医師


平成23年10月1日-平成23年10月17日

まず初めに、アメリカ研修の機会を与えてくださった黒部市民病院、援助してくださっているYKKの方々、吉田様、リン先生ご夫妻、ドイル先生、国際交流を継続、発展させるために力を注いで下さっている全ての方々に感謝申し上げます。

第一陣として

私は2011年の10月1日から第一陣として、辻先生、太田看護部長を始めとし、総勢6名の皆さんと同行した。そのため、ただひたすらくっついていればよかったので安心ではあった。しかし、入国審査でひっかかり、遅れを挽回しようと慌てて税関を通ると怪しまれ、にらまれ、結局人一倍入国に時間がかかり、かなり厄介な存在となっていた。

無事アメリカに到着し、そこからパーティーに連夜出席した。黒部に訪問された先生方が主催されるパーティーや、マーサー大学医学部長が 主催されるパーティーになど、それは豪華絢爛な上流階級の社交界のようで、パーティーとは縁遠い生活を送っている私はどうふるまえばよいかたじろぎ、ひたすら料理に舌鼓を打っていた。しかしながら悠長な時間もそう多くなく、日本人が私だけという恐ろしいテーブルに配置されたこともあり、初対面の人、かつ非 母国語圏の人となんとか会話をする度胸はついたように感じる。また、アメリカ式のパーティーのマナー、例えば初対面の人にも必ず一声かけ、自分を知っても らい、かつ印象付け、相手を知ろうとする、その心遣いが大変勉強になった。それと同時にたくさんの方々がこの国際交流プログラムに関心を持ちご配慮くだ さっていて、継続されているのも本当に多くの支援のおかげだということを痛感した。

また辻先生や西村さんが、英語が堪能で大活躍されていた。辻先生はアメリカ文化やマナーに精通されており博識で、またこの研修プログラムを開設するにあたっても、9.11のテロの余波を受けながらお一人で渡米し門を叩きに行ったと聞き、今が あるのも辻先生がご尽力された側面も大きいなと感謝の念でいっぱいになった。西村さんはどこに行っても、サチコ!サチコ!と壮大にウェルカムされており、 人と成りが伺われた。そのほかも太田部長さん、小倉さん、筒井さん、みなさん個性的で楽しいメンバーで、この第一陣の皆さんと同行でき光栄であった。

ER

これは今までの先生方が研修され、記録されていることに今さら私が追記する内容などないのだが、ジョージア中央医療センターのERはとにかくスタッフの数が多く、それもそのはず、ERの患者数も一日150人くらい来るそうである。また日本では存在しないPA(医師助手;問診とって検査して医師にコンサルト、処方→今のわたしたち研修医が救急でしているような業務)、NP(簡単な処方できる看護師)、RRT(気管挿管専門スタッフ)など、日本では医者が全て担っているところの仕事がうまく分けられていたと感じる。疾患としては心筋梗塞、肺塞栓はかなりの頻度で運ばれてきており、薬物中毒、アルコール中毒の多さもアメリカの食生活や社会を反映していると感じた。

珍しく感じたのは、廊下のいたるところに電光掲示板が設置されており、 電子カルテとリンクして患者さんが今どの部屋にいて、何の検査が行われていて、担当スタッフは誰なのか一目でわかるリストが表示されていた。これなら、ス タッフ全員が進行状況を把握できて、情報共有でき無駄な時間を省け、素晴らしいシステムだと感じた。しかし病棟に入れずそのままERに待機し、待ち時間が30時間とあっと驚くものもあり、ここでもアメリカはスケールが大きいなと感じた。また、医師がカルテを書く際に、マイクに音声を吹き込む と、それを聞きとってタイプしてくださる方が別にいるそうで、カルテを書く時間が短縮されてこれは便利だと感動すら覚えた。ちなみにドラゴンシステムというらしい。これはすばらしいですね!とやや興奮気味に話すと、ガーディナー先生は笑って、打った方が早いよ、と言っていた。

また、スタッフのみなさんが楽しそうに仕事をしているのが印象的だっ た。医療海外ドラマで、よくコーヒーを飲みながらカルテを書いている医療スタッフがいたが、実際はさらに上手で、フルーツやアイスを食べながら仕事してい る人もいた。びっくりして、日本では考えられないですよ、と言うと、誰もそんなところ気にしてないよ、とあっさり言われた。なるほどと感じた。

HIV

現在全世界でのヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染者は5千万人に達すると言われている。その拡大のほとんどがアジア、アフリカ地域の開発途上国において見られる。サハラ以南のアフリカには全世界の60%近くのエイズ患者がいると言われ、増加傾向にある。アメリカでは15歳~49歳のHIV感染率が0.6%と、120万人以上いる。ERで研修していても続々とHIV(+)!、と伝えられ、感染率 の高さが伺われた。日本ではそのような患者さんを見ることは少なく、個人的にも学生時代に一人見た、というくらいで実際対面したことはない。そんな中、 メーコン市の中心部からやや離れた一軒家の診療所(ホープセンター)に行き診察を見学することとなった。カートナー先生は、ここはHIVの患者さんの病院って周りからわからないように、何にも目印がないんだよ、と言って、平屋建ての家と周りに草が生い茂っている、いたっ てシンプルな絵を描いて渡してくれたが、行ってみたら本当に何にもなく、最初は通過してしまった。果たしてここが診療所なのか疑ってしまうくらいであっ た。診療所内で出会った患者さんの多くはフレンドリーで診察に協力的だった。もちろんゲイの方も多く、ワンナイトパーティーのすごい話も聞かせてくださっ た。その話のおかげで、その咽頭炎、淋病疑い、とカートナー先生は速やかに診断をくだしていた。さすがである。治療法だが、多くのレジュメがあり、このレ ジュメで上手くいかなかったら変更、というように癌治療と似ている部分があった。

カートナー先生

カートナー先生から得るものは本当にたくさんあり、私は今回感染症を選択して本当によかったと感じている。カートナー先生のすばらしい ところは、医師としてあるべき姿を実行されているところである。例えば、患者さんの目線になって本当にかがんでしゃべっていたり(アメリカでそんな医者を 見なかった)、HIVの薬を毎日忘れずに飲みウイルス量が減ったときは、その減り方の大小を問わず、本当にすばらしい!信じられない!と患者さんを褒めに褒め、モチベーションを維持させるようにしていた。また、服薬状況の悪い患者さんには、私や学生にレクチャーするように、パソコンの画面で、HIVが進行するとこうなるんだよ、と、ずたずたになったペニスの画像を見 せ、間接的に戦意を復活させようとしていた。服薬不良が続くと遺伝子点突然変異が生じ、治療に困難をきたすと言われている。さらに、問診や診察をしたとき には必ずフィードバックしてくださった。とにもかくにも優しく善意に満ち溢れており、神様、いや仙人を彷彿とさせる方であった。今年、黒部にまた来られる ようなので、皆さんもそのすばらしさを共感していただけるとうれしい限りである。

Dr.ガーディナー【中央】、Dr.ハンク【左】と

電光掲示板

カレテ作成中:こんな風にマイクを使います

Dr.カートナー先生と

ウォールストリート街の水牛

みんなで近くのジュリー湖へ

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