ブックタイトル70th_Anniversary2

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概要

70th_Anniversary2

4祝  辞前黒部市民病院院長新居 隆 創立70周年、おめでとうございます。病院史資料や年報などを見ておりますと、多くの先輩諸氏の地域医療への熱意と病院への愛情が今の黒部市民病院を作り上げているものとしみじみ感じます。私が院長の職務についた7年間(2006年?2013年)をすこし振り返ってみます。 2006年度は黒部市・宇奈月町合併、堀内市長就任で始まりました。ここからの数年間は医療連携が動き始めた時代でもありました。扇状地ネットが2006年から本格稼働、全国でも病診連携の先がけ的な行動でした。その後、国全体として医療連携は制度的にも急速に進んでいます。2012年には危機管理上の連携として新川医療圏公的3病院災害医療相互応援協定の締結に至っています。 この時代、医療事故と災害への危機管理が大きなテーマになっていましたが、2006年2月に福島大野病院事件が起こり、検察の対応に医療界が猛反発、これを契機に医療に対する社会やマスコミの態度も変化していきました。我々医療者の医療事故に対する姿勢も萎縮的なものから自律的なものに脱皮したと思います。まだまだ問題は多いのですが、医療者も社会も冷静にこれに取り組むようになっています。2009年に海外で新型インフルエンザのパンデミックが起こり感染対策にも取り組みました。災害対策として2008年にDMATを発足、2011年3月東日本大震災へ当院からもDMATを2回派遣しました。 臨床研修医制度が始まり、2006年には、第1期生が2年間の研修を終えた時期でしたが、この前後から大学からの医師引き上げの嵐が吹いた時代でもありました。当院は臨床研修のマッチングで好成績を継続でき、ほかの病院に比べて医師不足は深刻ではありませんでした。2007年、黒部市の姉妹都市である根室の市立病院に外科医がいなくなり救急体制がとれないという危機的状況になり、外科医師を派遣したのもこの時期でした。 医療の専門化とその一方での全人的医療の考え方も大きなテーマとなった時代ですが、看護師が専門性を発揮するべく、助産師外来(2005年県内初)、看護外来(リンパ浮腫・ストーマ)、かんわ支援室、通院治療室などを次々と立ち上げました。事務部門では2009年にドクターズアシスタント導入にも至っています。 ひとつひとつの出来事にさまざまな職員が関与し、それぞれが熱意をもって果敢に取り組み、いくつもの険しい山や谷を乗り越えてきました。まさに黒部市民病院の底力だと確信するとともに、これからもこの底力が竹田院長を先頭に病院を牽引してくださるものと信じております。